堺浜の夕日とおっさんの記

大阪は堺市、堺浜木製灯台のある境港は、春から秋まで絶好の夕日撮影スポットになる。
この日は天気がよく、淡路島の向こうに沈む夕日を最後まで楽しめた。








以下は、初めてRAW現像をしてみたもの。いかようにでも色が変えられてしまうので、ちょっとやりすぎちゃったかしらという感じ。



K200D/DA21mmF3.2


ここからは、堺浜に夕日を撮りにいくといつもいるおっさんについての愚痴。


堺浜にはほぼ毎日夕日を撮りに来ているとおぼしきおじさんがいて、この人が、他の撮影者(堺浜灯台はいつ行っても2、3人はカメラを持った人がいるそれなりの人気スポットなのだ)親しげに声をかけ、自分が撮った写真のアルバムを見せてくる。
アルバムの中身は主に、夕日を撮って太陽部分だけをトリミングして印刷した写真と、堺市内で撮影した花の写真である。


写真自体はそこまで悪いものではないのだけど(まあトリミングによる低画素印刷でぼけぼけになった写真が見事というより夕日自体が美しいって話ですよねーとか思いながらも)我々はその夕日を撮りに来ているのであり、おっさんの夕日の写真を見に来ているわけではない。
こちらは、おっさんというより限りなくおじいさんに近い彼に失礼な態度を取るのも気が引けて、たぶんおっさんも一人暮らしかなんかでさみしい生活を送っているのだろうしと、次々取り出される複数のアルバムをペラペラめくってそれなりにおべっかや感想など述べてあげはするものの、本当は夕日がどんどん沈んでいくのが気が気でなく、最初の数枚以降は「このおっさんからいかにうまいこと離れるか」で頭がいっぱいになっているのだが、おっさんはいい気なもので、横で「今日は下の方がかすんでいてよくない」「霞んでいなければ淡路島が見える」「○月○日ごろにちょうど灯台の正面に夕日が沈んで綺麗だ」(※大阪弁で)などと講釈を垂れてくる。
そんな講釈は正直どうでもいい。おっさんは毎日でも堺浜に来られるかもしれないが、こちらは数少ない休日の数少ない晴れの日にやっと来られるのであって、コンディションなどは選びようがなく、来られた日に撮るしかなく、1分や2分の話ならともかく、夕日がほぼ形をなさなくなるまで拘束されるのは致命的なのだ。
にもかかわらず、その数少ない貴重なチャンスに、片方がおっさんの相手をして片方がその隙に写真を撮るという、なんとも窮屈な状況で写真を撮ることになってしまった。この落胆といったら。


そんな、限りなく徒労に近い老人愛護も2回も経験すればもう遠慮も気遣いも品切れになる(驚いたことに次回堺浜に行くとまたおっさんがおり、我々にアルバムを見せるのが2回目だとは毛頭思っていない様子でアルバムを見せて来た。こちらも言い出しにくく、また気を遣って二度目の写真をみるしかなかった)。
夕日が海に沈まなくなった冬の間はおっさんに会うこともなく、のびのびと撮影を楽しんでいたのだが、春先に堺浜近くに行ったついでにそこらへんを撮影していたおり、なんと、灯台からの帰りらしいおっさんに声をかけられてしまったのだ。
本当に理解しがたいのだけど、どうして撮影を楽しんでる人に声がかけられるのだろう。その人は今は写真を撮りたいから撮っているのであって、誰かと話したいはずがないじゃないか。
というような怒りがわきあがってきたそのとき、またおっさんがウエストポーチからお得意のアルバムを取り出そうとしたので、ついに私は「それもう前に見せていただきましたから」と言ってしまったのだ。
そうしたら、おっさんは、ああそう…みたいな感じで手を引っ込めて、去っていった。
ちょっとひどい断り方をしたかもしれないが、もうおっさんの相手で時間をつぶすほど我々には余暇がなかったし、その日は薄手の服を着ていたのに夕方からどんどん寒くなっていたりもして、早いこと切り上げたのはしゃあないもんねと思っている。


で、今回の写真の日。おっさんもやはり堺浜にいたが、同じような年齢のおっさんと話していた。
私と夫はそれを見てほっとして、好き放題夕日を愛で撮影をしはじめた。が、しばらくして、おっさんが一人になってぶらぶらとこちらに歩いて来ているのが視界の片隅に入った。そして、おっさんが私を見ながら自分の腰のウエストポーチに手を伸ばした瞬間、私は撮影をやめ駆け足で夫に近寄って腕を絡めた。
おっさんは相手が一人でいる時にしか話しかけてこない。思った通りおっさんは接近を諦めて、ややもすると、一人で来ていた別の女性を掴まえてアルバム自慢を始めたのだった。


このような出会いがあって以来、私は、街で一定の間隔があいた距離にいる中年男性が荷物を開ける仕草をするだけで、胸がきつく縮こまるようになってしまった。もはや軽いトラウマレベルになってしまっているのである。
一人でいるときは、話しかけられたらそこまで無碍に追いやることもできない。逆切れされても困るし、基本的に人は悪意がなさそうな人に強く出れないものだ。おっさんは、一人で来ている人のそういう気遣いに味をしめて、自分の写真に反応してもらえるうれしさに話しかけ続けているのだろう。
仲間を見つけたいわけではなく、相手の都合はどうでもよく、ただ、自分の満足のためだけに。


私はもうあのおっさんのアルバムを見る気は一切ない。